龍馬伝 岩崎弥太郎 一口メモ

役に立つと思った知識や情報、思いついたこと、発見したことなどを書き留めておくサイトです。岩崎弥太郎に関連して発見したことや気付いたこと、面白いと思ったこと、感想など。一口メモを募集しています。こちらからエントリーできます。


岩崎弥太郎は、後藤象二郎の依頼で、坂本龍馬を毒殺しようと試みるが、良心の呵責に苛まれ、中止する。
坂本龍馬は、武市半平太に吉田東洋を切るように命ぜられるが、中止する。
坂本龍馬は、沢村惣之丞(さわむら・そうのじょう)とともに土佐を脱藩する。このとき龍馬は28歳。
龍馬脱藩後、吉田東洋が、武市半平太の刺客に暗殺される。

岩崎弥太郎は、三菱財閥の創始者です。

龍馬伝に見る岩崎弥太郎の人物像。
1.勉強熱心で、上昇志向が強い。
2.剣術は苦手または興味がない。龍馬とは正反対。
3.人あたりは悪い。龍馬とは正反対。

岩崎弥太郎
とにかく負けず嫌いで、龍馬に対しは特にライバル意識が強い。しかし龍馬に危険が迫ったときは、龍馬の身を案じ助けようとする優しさを持つ。「龍馬伝にみる岩崎弥太郎」

龍馬伝「龍馬の大芝居」より
龍馬は、岩崎弥太郎からの手紙により、武市半平太と岡田以蔵がひどい取り調べを受けていることを知る。
龍馬、溝淵広之丞(みぞぶちひろのじょう)とともに脱藩した土佐へ戻る。
まず坂本家に戻り、土佐藩に絶縁状を書いて提出してもらう。
弥太郎に頼んで、吉田東洋闇打ち事件の詳細が書かれた資料を役所で借りてきてもらう。
龍馬は、後藤象次郎(後藤象二郎)のもとへいき、武市半平太と岡田以蔵を助けるため、吉田東洋は自分がやったと嘘をつく。(大芝居を打つ)
そして再び逃走する。

龍馬伝「西郷吉之助」より。
薩摩藩は最新式の軍備を備えていた。
坂本龍馬と西郷吉之助初対面する。
長州攻めをやめうるよう嘆願する。
海軍操練所は解散する。
薩摩は、長州征伐をやめるよう幕府に進言する。
幕府は、薩摩の要求をのまざるを得ないほど、資金に困っていた。
薩摩に踊らされたくない幕府はこの時からフランスに頼るようになっていった。
そのころ土佐では、岩崎弥太郎が武市半平太より岡田以蔵を楽にしてやってほしいと毒まんじゅうを渡された。
しかし岩崎弥太郎は、毒まんじゅうを岡田以蔵に渡すことができなかった。

龍馬伝「故郷の友よ」より
上り坂だった攘夷派優勢の流れが変わる。
朝廷も攘夷派の中心である長州を遠ざけ、幕府方についた薩摩の方に傾く。
8月18日の政変。
このころから薩摩と長州とのにらみ合いが始まる。
攘夷派が失脚したことを機に、
武市半平太、土佐藩主山内容堂の命による投獄される。
土佐勤王党の者が次々と投獄される。
勝塾で勉強をしている土佐勤王党の者にも土佐への帰郷の命が下るが麟太郎は土佐へは戻らないよう命ずる。

そのころ商売を始めた岩崎弥太郎(のちの三菱財閥の創始者)は、材木の商売で各家をまわるも、材木は全く売れず途方に暮れる。
弥太郎の妻の喜世から「オマケ」をつけるといいかもしれないとの助言を受け、材木に木彫りの仏像をセットでつけるも、材木は売れず。
四苦八苦を繰り返している間に、商売は心が重要であることに気づく。
家の修繕をセットにして材木の販売を始めたところ、材木が売れ始めるようになる。

龍馬伝「愛の蛍」
幕府の命を受け京の治安を維持するために浪人などで結成された新撰組によって、攘夷派の獅子たちぃが惨殺された。後の世に言う池田屋事件である。
桂小五郎は、たまたま池田屋に居合わせず、助かる。
そのころ土佐では、吉田東洋闇打ちの件で岡田以蔵に対しての取り調べが厳しくなっていた。
岩崎弥太郎、後藤象次郎の命により、武市半平太の取り調べの任に就かされる。
お龍が仲居として働いている宿「扇岩」へ龍馬がと桂小五郎が訪れる。
お龍と龍馬の会話。
お龍の父は医者をやっていたが、攘夷派の侍を助けたことをとがめられ、安政の大獄で命を落とした、と龍馬に伝える。
投獄中の武市半平太より牢番の和助を介して妻・お富へ手紙を送る。
そしてお富から武市半平太に宛てて送られた手紙には蛍が入っていた。2人の絆は強かったという。

龍馬伝・福山雅治さんが演じる坂本竜馬が主人公の大河ドラマ。竜馬の故郷、土佐には、「上士」と「下士」という」身分制度がある。ドラマの中で上士と下士という表現はよくでてくる。
幕府(大老・井伊直弼(いいなおすけ))はアメリカと日米修好通商条約を結ぶ。この条約は一方的な不平等条約ともいわれている。坂本竜馬はこのとき江戸での剣術修行を終える。
竜馬「いつかは黒船を作りたい。俺の女房になってくれんか。」と平井加尾(広末涼子)に結婚を申しこむ。
岩崎弥太郎は、吉田東洋によって安芸奉行所の牢屋から出してもらえる。
武市半平太は、土佐に攘夷の嵐を巻き起こしたいと考えている。岩崎弥太郎は、商売の才覚を吉田東洋に認められ長崎へ行く。
武市半平太の「攘夷」を実現させるべく加尾は京へ送り込もうとする。
はじめ京へ行くことを拒んでいた加尾であったが、兄のために、やむを得ず京へ行かされる。
加尾と竜馬、ここで別れる。
出演者:福山雅治、広末涼子、香川照之、大森南朋、貫地谷しほり、渡辺いっけい、杉本哲太寺島しのぶ、宮迫博之、大泉洋、他多数。

龍馬ら亀谷社中は、下関馬関で長州藩の高杉晋作ら奇兵隊と合流し、幕府軍と戦う。
慶応2年1866年6月7日、幕府軍は長州への攻撃を開始した。
高杉晋作「100万の大軍おそるるに足らず。おそるるべきは我ら弱き民、一人ひとりの民の心なり」
戦の場所は馬関。
亀谷社中と奇兵隊は幕府軍に対して奇襲攻撃をかけ、これに成功する。
幕府軍は小倉城に火をつけて逃走。
幕府軍が長州軍に敗れる。
長州攻めを行ったことより米の価格が高騰し、民の不満が高まる。
そして1866年7月20日、第14代将軍の徳川家茂が脚気により亡くなる。
坂本龍馬、長州藩主の毛利敬親よりお礼の言葉を受ける。
そして龍馬は、木戸孝光(桂小五郎)に幕府と戦をするのをやめて、大政奉還をせまるよう薦めるが、それは難しいとして拒否される。
一方で、岩崎弥太郎は土佐商会として、長崎で外国人を相手に、土佐名物の和紙やしょうのうの商売をしていた。龍馬の友人である溝渕増巳も岩崎弥太郎のもとで働くこととなった。
龍馬伝「馬関の奇跡」

龍馬は長崎の下関で木戸寛治(桂小五郎)と大久保利通と会う。
大政奉還を進めるも、やはい拒否。
薩長はあくまでも武力による討幕を目指すという。

岩崎弥太郎は、土佐商会の主任を下される。

龍馬は久しぶりにお龍と再開する。
しかしそこへ奇兵隊のメンバーが龍馬と酒を飲みたいと訪ねる。
龍馬はお龍と夫婦水入らずの休日を過ごす予定であったが、
やむを得ず奇兵隊と飲みに出かけることになる。
酒に酔いつぶれて朝帰りの龍馬にお龍は激怒。
嵐のため船を一日おくらすとのことで、休日を一日延ばすこととなった。
三好慎蔵は、お龍に龍馬の姉である坂本乙女から結婚祝いの言葉がそえられた手紙を渡す。
そして龍馬とお龍は最後の一日を2人で過ごした。

龍馬伝「龍馬の休日」

龍馬は、新政府要綱八策を各藩の重役に送る。
中岡新太郎は、西郷吉之助より指摘を受けた新政府要綱八策の○○○にだれが入るかを確認するため、龍馬のもとへ向かう。
岩崎弥太郎は、ミニ英銃9000丁を売り5000両を超える大金を得る。これを龍馬に渡しに行くが、龍馬は弥太郎がこれからなすべきことのために使ってくれといい、受け取りを拒否。
途中で、新撰組と中岡新太郎との間で小競り合いが起こるが、大事には至らず両者はその場を去る。
徳川幕府が大政奉還をしたことにより武士の世が幕引きとなったことで、龍馬に恨みを抱く侍があらわる。
龍馬と中岡新太郎は京の近江屋で会い、新しい政府のあり方や新政府の要人となる人物について話し合う。
そして慶応3年11月15日夜8時ごろ、京の近江屋にて、坂本龍馬と中岡新太郎、藤吉が侍数人に襲われ暗殺される。
岩崎弥太郎、泣き崩れる。

龍馬伝最終回「龍の魂」より

龍馬が書いた一枚の紙には、大政奉還や議会制民主主義、差別のない国など日本の未来が書いてあった。のちに船中八策と呼ばれるものであった。(やがて新政府綱領八策という明治政府の基本理念となった。)
龍馬はこれを後藤象次郎に見せて、土佐藩主・山内容堂にも見てもらうよう願い出る。
岩崎弥太郎、トマスグラバーにビジネスのイロハを教えてほしいと申し出る。
西郷吉之助より、後藤象次郎と話がしたいとの申し出を受けて、京の三本木料亭で西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、後藤象次郎、坂本龍馬らが集まり話し合いをする。
大政奉還を目指す土佐藩と、武力による討幕を目指す薩摩藩で意見が対立したが、
最終的に、大政奉還を目指すことで合意。ただし大政奉還がならなかった時には、武力により討幕を目指すこととし、土佐藩もこれに加勢することで話がまとまる。
龍馬伝「船中八策」

幕府は、徳川慶喜が第15代将軍となった。
土佐藩主・山内容堂は、後藤象次郎に、土佐藩もひそかに薩長と手を結ぶよう命ずる。徳川慶喜と山内容堂は仲がよいが、潮目が変わってしまったことを悟る。
後藤象次郎は長崎に入り岩崎弥太郎に、薩長とパイプを持つ坂本龍馬を探すよう命ずる。
慶応3年1867年1月12日、坂本龍馬は、清風亭にて後藤象次郎と会談する。世に言う清風亭会談である。龍馬の身を案ずる沢村惣之丞や陸奥陽之助など亀山社中のメンバーと岩崎弥太郎は会談の席の襖の奥で身をひそめる。お元は場を和ませるために同席する。
会談の席で龍馬は、土佐藩は新しい日本を作る要として、幕府に大政奉還を迫るよう求める。尊王攘夷のときの過去のイザコザもあって、会談の席上では、土佐藩の上士と亀山社中のメンバーとの間で一触即発の緊張状態になるも、話し合いはまとまり、龍馬と後藤象次郎、亀山社中のメンバーと上士との間で握手が交わされる。はじめて土佐の上士と下士が手を結ぶ瞬間でもあった。
龍馬伝「清風亭の対決」

土佐藩主・山内容堂の書いた大政奉還をすすめる建白書が将軍・徳川慶喜のもとにとどけられる。
徳川慶喜は京の二条城に、在京していた40藩の御重役を集め、大政奉還を受け入れるか、薩長と戦をするかについて問う。
後藤象二郎は、この場で、大政奉還を強く進言する。(龍馬は、事前に後藤象二郎に対して大政奉還の決意を促すように手紙を出していた。)
岩崎弥太郎は、すべての銃を各藩に売却する。
そして慶応3年10月14日、徳川慶喜は二条城で大政奉還を宣言する。260年以上続いた徳川幕府が終焉を迎えた。
坂本龍馬「夜明けじゃあ。新しい日本の夜明けぜよ。」
街中で「ええじゃないか」を叫びながら踊る民衆。

龍馬伝「大政奉還」

大河ドラマ龍馬伝で登場する岩崎弥太郎氏は、結婚時点では収入も細く苦しい生活をしていましたが、結婚してから試行錯誤のすえ、商売を成功させました。
恋愛・出会い・結婚・出産には期限がありますが、収入を上げることは、年をとってからでも、いくらでも巻き返しができます。
女性の方、恋愛や結婚相手を選ぶときの着眼点を少し変えてみたらどうでしょうか?
収入が相手を選ぶ絶対条件であるかのような風潮が世の中を支配してしまっていますので、この流れも変えていかねばいかんです。

新撰組の取り調べから解放された岩崎弥太郎を、坂本龍馬と三吉慎蔵が寺田屋へ運ぶ。
龍馬は、後藤象次郎の命により京へ来ていることを岩崎弥太郎から聞かされ、
龍馬は、弥太郎にもうじき時代が変わる、江戸幕府の時代が終わるなど、簡単な経緯を伝えて、弥太郎を土佐へ戻るよう説得する。

このころ京都守護職(会津藩主)の松平容保は、ひそかに龍馬捕縛のため、伏見奉行所の役人十数名を寺田屋へ差し向ける。
深夜3時ごろ、伏見奉行所の役人に寺田屋が襲撃される。
お龍は、京の薩摩藩邸に、龍馬が襲撃された旨、伝えに行く。
龍馬はピストルで威嚇し、三吉慎蔵は槍で応戦するが、龍馬が手を切られてしまう。
それでもなんとかその場から逃れた龍馬と三吉慎蔵は、近くの材木小屋に身をひそめる。
龍馬は出血がひどいため小屋に留まり、三吉慎蔵が京の薩摩藩邸へ向かい、龍馬を助けてくれるよう依頼する。
薩摩藩は、材木小屋の屋根の上に身を隠していた龍馬を救出する。
龍馬伝「寺田屋騒動」より。

坂本龍馬は自らを才谷梅太郎と名乗り、
龍馬ら亀山社中は、「海援隊」と名称を改める。
海援隊は、土佐藩の後ろ盾のもとで表向きは資金集めのためのビジネスを行い、本当の目的を薩長とともに大政奉還を目指す。
海援隊の会計(経理)は、岩崎弥太郎が行うこととなった。
さらに岩崎弥太郎は、海援隊が物資を運ぶ船となる「いろは号」を大洲藩と交渉し譲り受ける。
龍馬は再び木戸孝光(桂小五郎)との話し合いの場で、土佐藩が薩長に近づいたことで大政奉還の実現性が高くなったので力づくでの討幕をやめるよう説得を試みるが、木戸孝光はこれを否定する。その場に居合わせた高杉晋作も木戸孝光に大政奉還が望ましいともちかけるも難色を示す。
高杉晋作の病状は、さらに悪化し、慶応3年4月・高杉晋作は志半ばで亡くなる。
そのころ中岡新太郎は龍馬のもとをお度ずれて陸援隊を作り、募力による討幕を目指すことを、龍馬に伝える。
龍馬伝「さらば高杉晋作」

坂本龍馬が、沢村惣之丞とともに土佐を脱藩したあと、武市半平太が土佐藩の実権を握る。後藤象二郎をはじめとする東洋派は失脚する。
岩崎弥太郎、後藤象二郎に吉田東洋を暗殺したのは坂本竜馬だとして竜馬を捕らえるよう依頼される。
沢村惣之丞は、攘夷のために京へ向かうが、龍馬は、英国と貿易をしていた薩摩へ船を見に行く。しかし見張りが厳しく薩摩へは入ることができなかった。その足で大阪へ向かう。
大阪では岩崎弥太郎と坂本龍馬が再開するも、龍馬はお尋ね者となっているため、土佐から来ていた追手に見つかり、小競り合いの後、その場を去る。
次に龍馬は大阪へきていた武市半平太のもとへ向かい、吉田東洋暗殺の件について問いただすも、意見が折り合わず武市半平太のもとをを去る。
岡田以蔵、武市半平太のために裏方の仕事に徹することを決意する。人斬り以蔵の誕生である。

軍艦操練所頭取の勝麟太郎(勝舟海)、幕府に対して異国に対抗できるような海軍を作るよう進言する。

坂本龍馬・幕末歴史検定という検定試験があります。試験は「脱藩」「初級」「中級」の3段階が用意されています。幕末と言えば、黒船とペリーの来航、日米和親条約、日米修好通商条約、桜田門外の変と井伊直弼、薩長同盟、大政奉還など、この辺りでしょうか。
龍馬伝で登場する岩崎弥太郎や武市半平太、桂小五郎、吉田松陰、加尾加尾といった人物とのかかわりについての問題も出てくるのかな??

後藤象次郎は、岩崎弥太郎を世話役とし土佐藩のために異国と商売をするよう命ずる。そして通訳にジョン万次郎をつける。
龍馬は、寺田屋で負傷した傷の療養と、これからなすべきことの決意を心に刻むために、吉井幸蔵とお龍とともに霧島山(高千穂峰)に登る。
霧島山は女人禁制のため、お龍は男装して登る。
高千穂峰は、天照大神の御孫であるニニギノミコトが乱れた日本をおさめるために降臨したという伝説があり、その頂には天の逆鉾が突き立てられている。
龍馬はこれを引き抜いて、これからすべきことの決意表明をする。
慶応2年1866年6月幕府軍が長州に攻め込む
高杉晋作が陣頭に立って応戦する。
長州兵4000に対して幕府軍は15万。
龍馬は西郷吉之助に薩摩から長州に援軍を送るよう嘆願するが、薩摩は兵を動かず。
大島が幕府軍の手に落ちる。
そのころ亀山社中では、ワイルウェフ号が嵐にあい、長崎の芸子・お元に結婚を申し込んでいた池内蔵太が命を落とす。
龍馬伝「霧島の誓い」より

後藤象次郎の命で、薩摩の動きを偵察するために京へ来ていた岩崎弥太郎は、新撰組につかまってしまい、
厳しい取り調べを受ける。

お龍が働く京の寺田屋に龍馬は身を寄せていた。
そのころ京の薩摩藩邸では、西郷吉之助と木戸孝充(桂小五郎の幕府に悟られないための別名)との間で薩長同盟の話し合いが行われていたが、幕府に悟られないよう小松帯刀邸に場所を移す。
この話をお龍から龍馬は高杉晋作から龍馬の護衛を任されていた三吉慎蔵とともに、小松帯刀邸へ向かい、
慶応2年(1866年1月22日)坂本龍馬が立会のもと、薩摩藩(西郷吉之助)と長州藩(木戸孝充)との間で密約が締結される。
長州が幕府から攻撃を受けた時は、薩摩は長州を徹頭徹尾助けるという内容のものだった。
これより龍馬は幕府から追われる身となる。
龍馬伝「薩長同盟ぜよ」より

イギリス船の水夫が何者かに殺害される。
現場を目撃した者の証言によると、白い着物を着ていたという。
海援隊も白い着物を着ていたため、イギリス公使及び長崎奉行所より嫌疑をかけられる。
イギリス公使は、容疑者を差しださないと土佐藩を攻撃するという。
海援隊は、自らの嫌疑を晴らすために、街の人から聞き込みを続けたところ、
福岡藩士が真犯人であることが分かる。
土佐商会の岩崎弥太郎は奉行所にこの事実を申し出るも、坂本龍馬を犯人に仕立て上げたい奉行所はこれを断固否定。
そして坂本龍馬と結託しているのではないかとの嫌疑をかけられたお元の住居が奉行所によって家宅捜索をうけたところ、
お元がキリシタンであったことが発覚する。
当時、キリスト教は禁止されていたため、お元は長崎奉行所より追われる身となった。
坂本龍馬は、イギリス公使のハリー・パークスのもとを訪れ、海援隊が潔白であると主張する。
そして海援隊は、討幕を目指すイギリスにとって味方であると説く。
パークスは坂本龍馬の主張に共感し、長崎奉行所に海援隊を取り締まらないよう申し出る。
そしてお元は龍馬とパークスの助けを借りて海外へ逃亡する。

龍馬伝「雨の逃亡者」