龍馬伝「愛の蛍」
幕府の命を受け京の治安を維持するために浪人などで結成された新撰組によって、攘夷派の獅子たちぃが惨殺された。後の世に言う池田屋事件である。
桂小五郎は、たまたま池田屋に居合わせず、助かる。
そのころ土佐では、吉田東洋闇打ちの件で岡田以蔵に対しての取り調べが厳しくなっていた。
岩崎弥太郎、後藤象次郎の命により、武市半平太の取り調べの任に就かされる。
お龍が仲居として働いている宿「扇岩」へ龍馬がと桂小五郎が訪れる。
お龍と龍馬の会話。
お龍の父は医者をやっていたが、攘夷派の侍を助けたことをとがめられ、安政の大獄で命を落とした、と龍馬に伝える。
投獄中の武市半平太より牢番の和助を介して妻・お富へ手紙を送る。
そしてお富から武市半平太に宛てて送られた手紙には蛍が入っていた。2人の絆は強かったという。
トマスグラバーより軍艦を手に入れた龍馬ら亀山社中のメンバーは記念写真を撮ったのち、長州藩の桂小五郎の元へ行き、これを届け、長州藩から購入資金を譲り受ける。このとき近藤長次郎と長州藩との間で、軍艦の名義をだれにするかでもめる。
近藤長次郎は、軍艦の名義を薩摩藩とし亀山社中がこれを自由に利用できることが引き渡しの条件であると主張するが、長州藩は、軍艦の名義は長州であると反論する。
これに坂本龍馬が割って入り、長次郎に亀山社中が妥協するよう説得する。
このあと近藤長次郎と亀山社中のメンバーのと間でトラブルがあり、
近藤長次郎は亀山社中を抜けてイギリスへ密航する計画を立てるが、悪天候のため失敗に終わり、
小曾根健三(こそねけんどう)のもとに身を寄せる。
これが奉行所の耳に入り亀山社中が密航の件で容疑をかけられる。
亀山社中に迷惑をかけたことに悩んだ近藤長次郎は、小曾根邸の裏庭で切腹してしまう。
これを知った龍馬ら亀山社中のメンバーはショックを受ける。
龍馬伝「侍!長次郎」より
坂本龍馬・幕末歴史検定という検定試験があります。試験は「脱藩」「初級」「中級」の3段階が用意されています。幕末と言えば、黒船とペリーの来航、日米和親条約、日米修好通商条約、桜田門外の変と井伊直弼、薩長同盟、大政奉還など、この辺りでしょうか。
龍馬伝で登場する岩崎弥太郎や武市半平太、桂小五郎、吉田松陰、加尾加尾といった人物とのかかわりについての問題も出てくるのかな??
吉田松陰(長州藩士1830−1859)叔父が主催していた松下村塾を名前を引き継いで、「松下村塾」を開く。弟子には、久坂玄瑞・伊藤博文・高杉晋作・桂小五郎・山形有明など名だたる人物がいる。
自分のことを「僕(ぼく)」といい、弟子のことを「あなた」という。
龍馬伝では、黒船とともにペリーが来航した時に、弟子の金子重之助とともに、小舟で黒船に乗り込もうとするシーンで登場する。
これがキッカケで2人は捕えられ、吉田松陰は「野山獄」に、金子重之助は「岩倉獄」に投獄される。2つの牢獄はひとつの道を挟んで向かい合った場所にある。
船宿の寺田屋で、龍馬の母親に似た人物と出会う。
龍馬の母親は、龍馬が12歳の時に病気で亡くなった。
元治元年7月、長州が帝を取り返すため、京に攻め入る。(蛤御門の変)
長州が京の御所に向かって発砲し、幕府と戦を始める。
帝さえ押さえれば官軍になれると考えていた長州。
しかし薩摩の軍勢にこれを阻まれる。
久坂玄瑞、自刃する。桂小五郎は、かろうじて逃げのびる。
憎しみが憎しみを生む。
池田屋事件の際、海軍操練所の訓練生がいたことをとがめられ、勝麟太郎、軍艦奉行を下される・江戸で謹慎となる。
海軍操練所は、閉鎖となる。
土佐では、岡田以蔵に対する厳しい取り調べが続いていた。
龍馬伝「寺田屋の母」より
坂本龍馬と陸奥陽之助は、幕府に対抗するために薩摩と長州を結ぶべく、長州藩の桂小五郎のもとへ行く。
龍馬は薩摩藩の西郷吉之助とはすでに長州と組む旨の約束を取り付けていた。
まず大宰府に幽閉されていた三条実美と中岡慎太郎(元土佐勤王党)の元へ出向き、手紙をしたためてもらう。
そして桂小五郎のもとへ行き、西郷吉之助の到着を待つが、西郷はあらわれず、中岡慎太郎一人が龍馬のところへ馳せ参ずる。
中岡新太郎の話によると、西郷は途中で進路を変えてしまったという。
龍馬伝「西郷はまだか」より
長州藩の桂小五郎と会うために下関へ向かっていた西郷吉之助だが、船に幕府の隠密が潜り込んでいたことを発見し、下関へ向かうことを断念し、京へ向かう。
龍馬と中岡慎太郎は、西郷を追って京へ向かう。
京では、旅籠りにてお龍が新撰組の近藤勇の酒の相手をしていた。
お龍は嫌々相手をしていたという。
そこへ龍馬が割って入り、一触即発の危機を迎える。
龍馬は峰打ちで近藤勇を眠らせ、その場を去り風呂に入る。
風呂で、龍馬を探しに来ていた千葉道場の千葉重太郎と会う。
千葉重太郎は、妹の千葉佐那と夫婦になってほしい旨、懇願するが、龍馬は断る。
夜になって目を覚ました近藤勇が龍馬の寝床を襲撃するが、龍馬はこれを交わす。千葉重太郎も龍馬に加勢し討ち合いになるところ、お龍が止めに入る。
近藤勇は、その場を去る。
千葉重太郎はあきらめて江戸へ帰る。
龍馬と中岡新太郎は再び西郷吉之助と会い、軍艦一隻と銃100丁を手土産に長州と手を結ぶように説得する。
龍馬伝「狙われた龍馬」より
長崎に手亀山社中を結成した龍馬らは、薩摩藩の西郷吉之助より、長州藩と同盟することと以前約束を反古にしたことのお詫びとして銃と軍艦を薩摩藩名義で購入し長州藩へ届けることの言質を取った。
イギリスの貿易商トマスグラバーのもとへ行き、輸送船のレンタルの交渉へ行くが、金の出所がはっきりしないという理由で断られる。
そこで坂本龍馬は、長州藩の桂小五郎より銃と軍艦の購入資金を準備するとの手紙をしたためてもらっていること、長州藩と薩摩藩が手を組んで徳川幕府の世をひっくり返すという目的をトマスグラバーに話す。
トマスグラバーは、商売以外は興味がないため、これを聞いて軍艦の交渉に応ずることを了承する。
そして近藤長次郎が軍艦の詳細な交渉ごとの任にあたり、軍艦ユニオン号の契約を結ぶ。
そのころ長崎の町ではキリシタンの取り締まりが行われていた。
芸妓で隠密のお元という女性も、キリシタンであることを隠しつつ芸妓と幕府の隠密を続けていたが、龍馬にこの事実を知られる。
お元は高句麗からきたためキリシタンであるという。
龍馬はこの事実を奉行所には報告しないと約束した。
龍馬伝「亀山社中の大仕事」より
後藤象次郎の命で、薩摩の動きを偵察するために京へ来ていた岩崎弥太郎は、新撰組につかまってしまい、
厳しい取り調べを受ける。
お龍が働く京の寺田屋に龍馬は身を寄せていた。
そのころ京の薩摩藩邸では、西郷吉之助と木戸孝充(桂小五郎の幕府に悟られないための別名)との間で薩長同盟の話し合いが行われていたが、幕府に悟られないよう小松帯刀邸に場所を移す。
この話をお龍から龍馬は高杉晋作から龍馬の護衛を任されていた三吉慎蔵とともに、小松帯刀邸へ向かい、
慶応2年(1866年1月22日)坂本龍馬が立会のもと、薩摩藩(西郷吉之助)と長州藩(木戸孝充)との間で密約が締結される。
長州が幕府から攻撃を受けた時は、薩摩は長州を徹頭徹尾助けるという内容のものだった。
これより龍馬は幕府から追われる身となる。
龍馬伝「薩長同盟ぜよ」より
龍馬ら亀谷社中は、下関馬関で長州藩の高杉晋作ら奇兵隊と合流し、幕府軍と戦う。
慶応2年1866年6月7日、幕府軍は長州への攻撃を開始した。
高杉晋作「100万の大軍おそるるに足らず。おそるるべきは我ら弱き民、一人ひとりの民の心なり」
戦の場所は馬関。
亀谷社中と奇兵隊は幕府軍に対して奇襲攻撃をかけ、これに成功する。
幕府軍は小倉城に火をつけて逃走。
幕府軍が長州軍に敗れる。
長州攻めを行ったことより米の価格が高騰し、民の不満が高まる。
そして1866年7月20日、第14代将軍の徳川家茂が脚気により亡くなる。
坂本龍馬、長州藩主の毛利敬親よりお礼の言葉を受ける。
そして龍馬は、木戸孝光(桂小五郎)に幕府と戦をするのをやめて、大政奉還をせまるよう薦めるが、それは難しいとして拒否される。
一方で、岩崎弥太郎は土佐商会として、長崎で外国人を相手に、土佐名物の和紙やしょうのうの商売をしていた。龍馬の友人である溝渕増巳も岩崎弥太郎のもとで働くこととなった。
龍馬伝「馬関の奇跡」
坂本龍馬は自らを才谷梅太郎と名乗り、
龍馬ら亀山社中は、「海援隊」と名称を改める。
海援隊は、土佐藩の後ろ盾のもとで表向きは資金集めのためのビジネスを行い、本当の目的を薩長とともに大政奉還を目指す。
海援隊の会計(経理)は、岩崎弥太郎が行うこととなった。
さらに岩崎弥太郎は、海援隊が物資を運ぶ船となる「いろは号」を大洲藩と交渉し譲り受ける。
龍馬は再び木戸孝光(桂小五郎)との話し合いの場で、土佐藩が薩長に近づいたことで大政奉還の実現性が高くなったので力づくでの討幕をやめるよう説得を試みるが、木戸孝光はこれを否定する。その場に居合わせた高杉晋作も木戸孝光に大政奉還が望ましいともちかけるも難色を示す。
高杉晋作の病状は、さらに悪化し、慶応3年4月・高杉晋作は志半ばで亡くなる。
そのころ中岡新太郎は龍馬のもとをお度ずれて陸援隊を作り、募力による討幕を目指すことを、龍馬に伝える。
龍馬伝「さらば高杉晋作」
龍馬は長崎の下関で木戸寛治(桂小五郎)と大久保利通と会う。
大政奉還を進めるも、やはい拒否。
薩長はあくまでも武力による討幕を目指すという。
岩崎弥太郎は、土佐商会の主任を下される。
龍馬は久しぶりにお龍と再開する。
しかしそこへ奇兵隊のメンバーが龍馬と酒を飲みたいと訪ねる。
龍馬はお龍と夫婦水入らずの休日を過ごす予定であったが、
やむを得ず奇兵隊と飲みに出かけることになる。
酒に酔いつぶれて朝帰りの龍馬にお龍は激怒。
嵐のため船を一日おくらすとのことで、休日を一日延ばすこととなった。
三好慎蔵は、お龍に龍馬の姉である坂本乙女から結婚祝いの言葉がそえられた手紙を渡す。
そして龍馬とお龍は最後の一日を2人で過ごした。
龍馬伝「龍馬の休日」