ドラマ 龍馬伝 一口メモNO2

役に立つと思った知識や情報、思いついたこと、発見したことなどを書き留めておくサイトです。龍馬伝に関連して発見したことや気付いたこと、面白いと思ったこと、感想など。一口メモを募集しています。こちらからエントリーできます。


千葉佐那・北辰一刀流の千葉道場の娘で、千葉の鬼小町とも言われていた。
女剣士で男勝り(おてんば)な性格。
坂本龍馬と千葉佐那は婚約していたという。
龍馬と対戦するも、龍馬に一本取られてしまい、強い男への憧れを抱いたと言う。
黒船を見た龍馬は、剣術修行は無意味だと感じた。
龍馬、2度目の剣術修行を終え、土佐へ戻ろうとするとき、千葉佐那から龍馬へ逆プロポーズをしたという。
互いに大切な品を交換し結納を交わした。
しかしそれ以来龍馬は帰ってこなかった。
千葉佐那は生涯独身を貫いた。
かつては千葉佐那が一方的な片思いをしていたというのが通説だったが、龍馬から姉へあてた手紙から見解に疑義が生じた。
「ビーバップハイヒール」より

新撰組の取り調べから解放された岩崎弥太郎を、坂本龍馬と三吉慎蔵が寺田屋へ運ぶ。
龍馬は、後藤象次郎の命により京へ来ていることを岩崎弥太郎から聞かされ、
龍馬は、弥太郎にもうじき時代が変わる、江戸幕府の時代が終わるなど、簡単な経緯を伝えて、弥太郎を土佐へ戻るよう説得する。

このころ京都守護職(会津藩主)の松平容保は、ひそかに龍馬捕縛のため、伏見奉行所の役人十数名を寺田屋へ差し向ける。
深夜3時ごろ、伏見奉行所の役人に寺田屋が襲撃される。
お龍は、京の薩摩藩邸に、龍馬が襲撃された旨、伝えに行く。
龍馬はピストルで威嚇し、三吉慎蔵は槍で応戦するが、龍馬が手を切られてしまう。
それでもなんとかその場から逃れた龍馬と三吉慎蔵は、近くの材木小屋に身をひそめる。
龍馬は出血がひどいため小屋に留まり、三吉慎蔵が京の薩摩藩邸へ向かい、龍馬を助けてくれるよう依頼する。
薩摩藩は、材木小屋の屋根の上に身を隠していた龍馬を救出する。
龍馬伝「寺田屋騒動」より。

坂本龍馬は土佐に帰ってきた。
龍馬は実家を訪ね、坂本乙女(姉)や坂本権平(兄)らと再開する。
後藤象二郎は、土佐藩主・山内容堂と龍馬との面会の場を取りつける。
龍馬は、山内容堂に大政奉還の建白書の作成をお願いする。
時代の流れはすでに変わっており、土佐が時代の潮流に乗るためにも必要だという。
将軍も大名も武士もない、上士や下士のような差別のない国を作りたいと叫ぶ龍馬。
武士が支配する世は終りになるという。
大政奉還の建白書を提出して将軍・徳川慶喜の怒りを買えば、山内家のお家取りつぶしとなるおそれもあり、容堂は決断に迷うも、
建白書の作成を決意する。

龍馬伝「土佐の大勝負」

坂本龍馬は自らを才谷梅太郎と名乗り、
龍馬ら亀山社中は、「海援隊」と名称を改める。
海援隊は、土佐藩の後ろ盾のもとで表向きは資金集めのためのビジネスを行い、本当の目的を薩長とともに大政奉還を目指す。
海援隊の会計(経理)は、岩崎弥太郎が行うこととなった。
さらに岩崎弥太郎は、海援隊が物資を運ぶ船となる「いろは号」を大洲藩と交渉し譲り受ける。
龍馬は再び木戸孝光(桂小五郎)との話し合いの場で、土佐藩が薩長に近づいたことで大政奉還の実現性が高くなったので力づくでの討幕をやめるよう説得を試みるが、木戸孝光はこれを否定する。その場に居合わせた高杉晋作も木戸孝光に大政奉還が望ましいともちかけるも難色を示す。
高杉晋作の病状は、さらに悪化し、慶応3年4月・高杉晋作は志半ばで亡くなる。
そのころ中岡新太郎は龍馬のもとをお度ずれて陸援隊を作り、募力による討幕を目指すことを、龍馬に伝える。
龍馬伝「さらば高杉晋作」

坂本龍馬と陸奥陽之助は、幕府に対抗するために薩摩と長州を結ぶべく、長州藩の桂小五郎のもとへ行く。
龍馬は薩摩藩の西郷吉之助とはすでに長州と組む旨の約束を取り付けていた。
まず大宰府に幽閉されていた三条実美と中岡慎太郎(元土佐勤王党)の元へ出向き、手紙をしたためてもらう。
そして桂小五郎のもとへ行き、西郷吉之助の到着を待つが、西郷はあらわれず、中岡慎太郎一人が龍馬のところへ馳せ参ずる。
中岡新太郎の話によると、西郷は途中で進路を変えてしまったという。
龍馬伝「西郷はまだか」より

坂本龍馬が、沢村惣之丞とともに土佐を脱藩したあと、武市半平太が土佐藩の実権を握る。後藤象二郎をはじめとする東洋派は失脚する。
岩崎弥太郎、後藤象二郎に吉田東洋を暗殺したのは坂本竜馬だとして竜馬を捕らえるよう依頼される。
沢村惣之丞は、攘夷のために京へ向かうが、龍馬は、英国と貿易をしていた薩摩へ船を見に行く。しかし見張りが厳しく薩摩へは入ることができなかった。その足で大阪へ向かう。
大阪では岩崎弥太郎と坂本龍馬が再開するも、龍馬はお尋ね者となっているため、土佐から来ていた追手に見つかり、小競り合いの後、その場を去る。
次に龍馬は大阪へきていた武市半平太のもとへ向かい、吉田東洋暗殺の件について問いただすも、意見が折り合わず武市半平太のもとをを去る。
岡田以蔵、武市半平太のために裏方の仕事に徹することを決意する。人斬り以蔵の誕生である。

軍艦操練所頭取の勝麟太郎(勝舟海)、幕府に対して異国に対抗できるような海軍を作るよう進言する。

坂本龍馬・幕末歴史検定という検定試験があります。試験は「脱藩」「初級」「中級」の3段階が用意されています。幕末と言えば、黒船とペリーの来航、日米和親条約、日米修好通商条約、桜田門外の変と井伊直弼、薩長同盟、大政奉還など、この辺りでしょうか。
龍馬伝で登場する岩崎弥太郎や武市半平太、桂小五郎、吉田松陰、加尾加尾といった人物とのかかわりについての問題も出てくるのかな??

稿本藍山公記(こうほんらんざんこうき)という記録に、坂本龍馬が剣術修行のため江戸の北辰一刀流の道場にいたときに知り合った千葉佐那(お佐那さん)は、かなりの美人であるという記述があったそうです。

江戸幕府は攘夷決行の日を5月10日にする旨、朝廷と約束する。
しかし実際には幕府は攘夷を実行するつもりはなく、
実際に行動をおこしたのは、長州藩だけであった。(下関事件)
長州藩は、米仏の商船に対して砲撃を加えるも、力の差は歴然で、完膚なきまでにたたきのめされる。
武市半平太が率いる土佐勤王党も、土佐藩より攘夷決行の指示が下るのをまっていたが、指示は出ず。
結局、攘夷実行には参加できなかった。
その後、平井収二郎が、吉田東洋殺害の罪により土佐藩に捕えられる。
武市半平太は、幼馴染である平井収二郎を助けるため、土佐に戻ろうとするところを、龍馬が止めに入る。
土佐に戻れば、武市さんも捕えられてしまうと龍馬はいう。
しかし武市半平太の決意は強く、龍馬の説得を退けて土佐へ戻ることになる。

龍馬伝「攘夷決行」より

後藤象次郎は、岩崎弥太郎を世話役とし土佐藩のために異国と商売をするよう命ずる。そして通訳にジョン万次郎をつける。
龍馬は、寺田屋で負傷した傷の療養と、これからなすべきことの決意を心に刻むために、吉井幸蔵とお龍とともに霧島山(高千穂峰)に登る。
霧島山は女人禁制のため、お龍は男装して登る。
高千穂峰は、天照大神の御孫であるニニギノミコトが乱れた日本をおさめるために降臨したという伝説があり、その頂には天の逆鉾が突き立てられている。
龍馬はこれを引き抜いて、これからすべきことの決意表明をする。
慶応2年1866年6月幕府軍が長州に攻め込む
高杉晋作が陣頭に立って応戦する。
長州兵4000に対して幕府軍は15万。
龍馬は西郷吉之助に薩摩から長州に援軍を送るよう嘆願するが、薩摩は兵を動かず。
大島が幕府軍の手に落ちる。
そのころ亀山社中では、ワイルウェフ号が嵐にあい、長崎の芸子・お元に結婚を申し込んでいた池内蔵太が命を落とす。
龍馬伝「霧島の誓い」より

後藤象次郎の命で、薩摩の動きを偵察するために京へ来ていた岩崎弥太郎は、新撰組につかまってしまい、
厳しい取り調べを受ける。

お龍が働く京の寺田屋に龍馬は身を寄せていた。
そのころ京の薩摩藩邸では、西郷吉之助と木戸孝充(桂小五郎の幕府に悟られないための別名)との間で薩長同盟の話し合いが行われていたが、幕府に悟られないよう小松帯刀邸に場所を移す。
この話をお龍から龍馬は高杉晋作から龍馬の護衛を任されていた三吉慎蔵とともに、小松帯刀邸へ向かい、
慶応2年(1866年1月22日)坂本龍馬が立会のもと、薩摩藩(西郷吉之助)と長州藩(木戸孝充)との間で密約が締結される。
長州が幕府から攻撃を受けた時は、薩摩は長州を徹頭徹尾助けるという内容のものだった。
これより龍馬は幕府から追われる身となる。
龍馬伝「薩長同盟ぜよ」より

慶応3年4月23日、海援隊が大洲半から貸借した「いろは丸」と紀州藩の明光丸が衝突し、いろは丸が沈没する。
日本で初めての蒸気船の衝突事故であった。
才谷梅太郎を名乗る龍馬ら海援隊のメンバーといろは丸の乗客乗員は、明光丸に乗り移り助かる。
紀州藩と海援隊との間で事故処理についての第1回目の談判が行われる。
海援隊は紀州藩に対して、明光丸には甲板に見張りが立っておらず、明光丸の方からぶつかってきたとして、船の代金5万両と積み荷の代金33000両を請求する。
紀州藩は、非は「いろは丸」にあるとしてこれを拒否。交渉は決裂する。
海援隊は、船の衝突事故は紀州藩に非があるかのような歌を広める。
「船を沈めたその償いは、金をとらずに国をとる。ああ、よさこい、よさこい、国をとったらミカン食う。」
2度目の談判(慶応3年5月22日)は紀州側から申し込んできた。
紀州藩勘定奉行の茂田一次郎も同席し、幕府の裁定を仰ぐと主張。
才谷梅太郎は国どおしの船の衝突事故の世界のルールとなっている万国公法をもちだして、これに基づいて裁判をすると反論する。
そして土佐藩の後藤象次郎とイギリス海軍総督ヘンリーケッペルを呼び、彼の判断を仰ぐとした。
紀州藩は非を認めて賠償金83000両を払う。
龍馬伝「いろは丸事件」

吉田松陰(長州藩士1830−1859)叔父が主催していた松下村塾を名前を引き継いで、「松下村塾」を開く。弟子には、久坂玄瑞・伊藤博文・高杉晋作・桂小五郎・山形有明など名だたる人物がいる。
自分のことを「僕(ぼく)」といい、弟子のことを「あなた」という。
龍馬伝では、黒船とともにペリーが来航した時に、弟子の金子重之助とともに、小舟で黒船に乗り込もうとするシーンで登場する。
これがキッカケで2人は捕えられ、吉田松陰は「野山獄」に、金子重之助は「岩倉獄」に投獄される。2つの牢獄はひとつの道を挟んで向かい合った場所にある。

岩崎弥太郎は、三菱財閥の創始者です。

龍馬伝に見る岩崎弥太郎の人物像。
1.勉強熱心で、上昇志向が強い。
2.剣術は苦手または興味がない。龍馬とは正反対。
3.人あたりは悪い。龍馬とは正反対。

岩崎弥太郎は、後藤象二郎の依頼で、坂本龍馬を毒殺しようと試みるが、良心の呵責に苛まれ、中止する。
坂本龍馬は、武市半平太に吉田東洋を切るように命ぜられるが、中止する。
坂本龍馬は、沢村惣之丞(さわむら・そうのじょう)とともに土佐を脱藩する。このとき龍馬は28歳。
龍馬脱藩後、吉田東洋が、武市半平太の刺客に暗殺される。

岩崎弥太郎
とにかく負けず嫌いで、龍馬に対しは特にライバル意識が強い。しかし龍馬に危険が迫ったときは、龍馬の身を案じ助けようとする優しさを持つ。「龍馬伝にみる岩崎弥太郎」

トマスグラバーより軍艦を手に入れた龍馬ら亀山社中のメンバーは記念写真を撮ったのち、長州藩の桂小五郎の元へ行き、これを届け、長州藩から購入資金を譲り受ける。このとき近藤長次郎と長州藩との間で、軍艦の名義をだれにするかでもめる。
近藤長次郎は、軍艦の名義を薩摩藩とし亀山社中がこれを自由に利用できることが引き渡しの条件であると主張するが、長州藩は、軍艦の名義は長州であると反論する。
これに坂本龍馬が割って入り、長次郎に亀山社中が妥協するよう説得する。
このあと近藤長次郎と亀山社中のメンバーのと間でトラブルがあり、
近藤長次郎は亀山社中を抜けてイギリスへ密航する計画を立てるが、悪天候のため失敗に終わり、
小曾根健三(こそねけんどう)のもとに身を寄せる。
これが奉行所の耳に入り亀山社中が密航の件で容疑をかけられる。
亀山社中に迷惑をかけたことに悩んだ近藤長次郎は、小曾根邸の裏庭で切腹してしまう。
これを知った龍馬ら亀山社中のメンバーはショックを受ける。
龍馬伝「侍!長次郎」より

イギリス船の水夫が何者かに殺害される。
現場を目撃した者の証言によると、白い着物を着ていたという。
海援隊も白い着物を着ていたため、イギリス公使及び長崎奉行所より嫌疑をかけられる。
イギリス公使は、容疑者を差しださないと土佐藩を攻撃するという。
海援隊は、自らの嫌疑を晴らすために、街の人から聞き込みを続けたところ、
福岡藩士が真犯人であることが分かる。
土佐商会の岩崎弥太郎は奉行所にこの事実を申し出るも、坂本龍馬を犯人に仕立て上げたい奉行所はこれを断固否定。
そして坂本龍馬と結託しているのではないかとの嫌疑をかけられたお元の住居が奉行所によって家宅捜索をうけたところ、
お元がキリシタンであったことが発覚する。
当時、キリスト教は禁止されていたため、お元は長崎奉行所より追われる身となった。
坂本龍馬は、イギリス公使のハリー・パークスのもとを訪れ、海援隊が潔白であると主張する。
そして海援隊は、討幕を目指すイギリスにとって味方であると説く。
パークスは坂本龍馬の主張に共感し、長崎奉行所に海援隊を取り締まらないよう申し出る。
そしてお元は龍馬とパークスの助けを借りて海外へ逃亡する。

龍馬伝「雨の逃亡者」

もしも坂本龍馬が暗殺されず天寿を全うしていたら?
まず4人の専門家の龍馬のイメージを整理する。
坂本龍馬とは孤独な人だった。
楽しんで一生を終えた。
女性にも男性にも好かれていた。
幕末の奇跡の人。
好奇心が強く新しいものが好き。
貿易に興味があり、日本で初めての株式会社である亀山社中を結成。

龍馬のイメージから専門家が予想する。
北海道を開拓
ぼしん戦争は止められなかった
坂本商会を創設し、商売を始めていた。世界を相手にする会社組織を作る。
持ち前の交渉力を使って、世界を渡り歩く。
ジョン万次郎を訪れ、アメリカ行きを決める。
1871年、アメリカのニューヨークへ渡る。このとき龍馬37歳。
1ヶ月後、アメリカ西海岸に到着。
さまざまな文化を肌で感じる。
リーバイスのジーンズをはき、バーボンを飲み、野球観戦を楽しむ。英語力もも似つける。
1880年日本ではじめての外国語大学を創る。
経営の神様になっていた、かもしれない。

「ifの歴史書〜もしものヒストリー〜」より。
出演者:加藤浩次、鈴江奈々(NTV) 、関根勤、柴田理恵、内藤剛志、優木まおみ、高田延彦、鈴木一真、ビビる大木、松村邦洋、品川庄司、大澤啓二、内田裕也ほか、荒俣宏、加来耕三、片山さつき、伊東成郎、佐藤治彦、二宮清純、杉山光男

お龍・坂本龍馬の妻
龍馬がはじめて新婚旅行に行った相手。
お龍と龍馬の夫婦生活はわずか1年10か月で、ほとんど一緒にいなかったといいう。
「ビーバップハイヒール」より

おすすめ観光スポット・デートスポット。
大河ドラマ龍馬伝で人気があがりました。
高知県の桂浜。
高知県立・坂本龍馬記念館。
珍味堂・マンボウの唐揚げ。貴重な一品です。

Q・龍馬伝で話題の観光地・高知県。信号機の横に「A」「B」「C」のようなアルファベット1文字が表記されているのはなぜか?

A・駅などで配布している観光案内マップとリンクしている。目的地まで辿りやすくするため。アルファベット一文字のほうが運転手が認識しやすい。

「雑学王」より

「収二郎、無念」龍馬伝より。
藩の了解を得ずに朝廷に取り入った罪で捕らえられた土佐勤王党の平井収二郎。
土佐勤王党が吉田東洋の暗殺に関わった件について、過激な取り調べを受ける。
平井収二郎は、東洋暗殺については、一切知らないという。
武市半平太、土佐藩主・山内容堂に平井収二郎を許してもらうよう単眼するも、受け入れられず。
平井収二郎は、切腹を命ぜられる。
坂本龍馬は、勝塾の運用資金を調達するため、越前福井藩主・松平春嶽のもとを訪ねる。
龍馬いわく「物に投資したものは死金、勝塾(人)に投資すれば生金になります。」

NHK大河ドラマ「龍馬伝」の視聴率は、毎回20%を超える人気番組のようす。歴女ブームに続き、ひそかに「龍馬」ブームが来ているとか。

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